世の中批判で溢れかえっている

とある調べ物をしていて、個人ブログや商品レビューなどをサーフィンしまくっていた。
僕は比較的、何かの商品に対してのレビューは見ないことにしている。
商品レビューなどを書く人種というのは、昔から批判的と相場が決まっているからだ。
それも仕方がないことだと思っている。
批判的な方が当然反応はあるし、当然書き手も「自分の価値観とは相違していて、それは大いに間違っていますよ。」とスッキリするからだろう。
そしてそれが気持ちいいことだと教育されてしまっているのも事実だ。
ネット社会になって、注目されるのはいつだって批判的な連中だ。
批判するから注目されて、批判するから有名になる。
これはテレビも同じだろう。
コメンテーターは物知り顔で批判を繰り返す。
これは完全な刷り込みで、多くの人はこの刷り込みから逃れることが出来ない。
それはテレビだけじゃなくて、SNSも同じ。
批判、批判、批判、批判。
今の世の中は批判的な内容で溢れかえって、どこを向いても溺れる寸前だ。
僕が覗いた個人ブログは、2000記事もある超巨大な個人ブログだった。
ほぼ何日かに1度更新されていて、その更新頻度も高い。
でも、読者登録が7人で、コメントはほとんど残っていなかった。
一番古い記事が2017年で、ブログのテーマは「人間らしい豊かな人生を生きる。」だった。
素晴らしい。
人の価値観とは多種多様なのはわかっているが、豊かという言葉は、その人の中では「批判」に置き換わっているのが見て取れる。
人間らしい批判的な人生を生きる。という看板に変わっている。
あまりに批判するのが日常的になりすぎて、読者もついていけないのだろう。
人に共感されるのは難しい。
批判的な人でも共感される人間というのはいるが、そういう類の人間は、批判しながらも、生理的に無理という所までは決して踏み込まない。
しかし、僕が覗いたその人は、骨の髄まで批判が染み付いていた。
そしてそれが絶対的に正しいと思っている。
他人がしていることを認めるのは難しい。
特に自分の価値観からは離れている人間を自分の中で飲み込むのは難しい。
そこで自分を鑑みてみるが、僕も批判的だと感じることが多々ある。
刷り込まれているものがあるのだろうし、性格的な問題もあるだろう。
僕も気をつけなければならない。
この記事の内容を要約の上、AIにて作曲