僕らはつぶやかずにはいられない。

この記事でも書いたように、ツイッター、現X(エックス)が生まれたのは2006年のことである。

その当時筆者である僕は20代だった。
僕たち世代はX世代と呼ばれる。
僕らの特徴は、激動の時代を経験してきたことによる、柔軟な価値観や適応力にあるらしい。
デジタルとアナログの両方に精通し、子ども時代はテレビや雑誌、ラジオなどのアナログメディアが中心。
大人になってからインターネットや携帯電話が普及したため、デジタル技術にも抵抗なく適応した。
デジタルネイティブのZ世代とは異なり、アナログとデジタルの両方の感覚を持ち合わせているのが特徴だ。
団塊の世代が「会社のために尽くす」という価値観を持っていたのに対し、X世代はプライベートや家族との時間を大切にするらしい。
そのため、仕事と個人の生活のバランスを重視する傾向が強いとのこと。
バブル崩壊後の不況や就職氷河期を経験しているため、お金の使い方には堅実な面がある。
価格と機能性のバランスをよく吟味し、効率的な消費を好む傾向があるらしい。
時代が大きく変化する中で育ってきたため、新しい知識やスキルを積極的に学ぶ姿勢があり、新しい技術や社会の変化に対しても、比較的柔軟に対応できる。
X世代は、上の世代である「団塊の世代」と、下の世代である「ミレニアル世代(Y世代)」や「Z世代」の間に位置し、両方の価値観を理解できる「橋渡し役」のような存在と称されるとのこと。
当事者である僕自身はあまり感じることはないが、確かにアナログとデジタルの両方の感覚を持ち合わせているのは事実だと思う。
だって携帯電話を持っていない時期は思春期だったし、携帯電話が急速に普及していったのも10代だった。
今考えると激変の時代と言えるだろう。
社会人になって安定期に入ったくらいの頃にツイッターが出回りはじめた。
当初はここまで爆発的に普及するとは思ってもいなかったけど、今もエックスとして日常に深く入り込んでいる【つぶやき】文化を人類が当たり前のように使っているのは本当の事で、その文化は、骨の髄まで染み込んでしまっている。
X世代である僕は、当然アナログ、デジタル双方の行き来が出来るので、つぶやきがないと生きていけないという程ではないが、それでもつぶやきと共に育ってきたので、この呪縛から逃れることは難しい。
でも、年齢を重ねてくると、単純に自分の内面をつぶやくのを万人に見せたいという欲求はなくなってくる。
一部の人にだけ見せたいという、超狭小の欲求だけが残る。
だけど、完全にクローズドなコミュニティだと、ログインしたりなんだりと手間がかかって、それもそれで面倒だ。
だからこそ、ココ最近アチコチで見かけるようになった【てがろぐ】のようなものが普及するのだろう。
てがろぐは説明にもあるようにフリーCGIで「自分専用Twitter」を構築出来る。
少し仕組みを理解出来れば、簡単に設置できて、本当に自分専用Twitterが出来上がる。
僕はもう40代も後半に差し掛かってきたので、万人に向けて承認欲求を発出する程の元気も欲望もない。
でも染み付いた【つぶやき】文化から逃げることも出来ない。
つぶやくことそのものがストレス発散にもなっているし、その気持ちよさも知っている。
人間はそもそもモヤモヤしていることを言語化することで、そのことを一旦忘れることが出来る。
つぶやくことで、その頭の中にあるものを一旦外に押し出して、なるべく頭の中にモヤモヤスペースを作らないことが非常に大事になってくるものだと思っている。
だから本当に【てがろぐ】には感謝しているし、もっと普及すればいいとも思っている。
まぁ最近では本当にクリエイターの人々の使用率が高まっているので、徐々に普及率も上がっていくだろう。
そう、結局のところ、僕はつぶやかずにはいられないのだ。
AIによるこの記事の要約と楽曲